J-POPの「黄金時代」を作った仕掛人たち
1980年代後半から2000年代にかけて、J-POPは黄金時代を迎えた。年間シングルセールスが数百万枚に及ぶミリオンヒットが当たり前のように生まれ、CDショップには行列ができた。この時代を支えたのは、卓越したプロデューサーたちの存在だ。作家性と商業性を両立させ、「時代の音」を生み出した音楽職人たちを振り返る。
小室哲哉:90年代J-POPを定義した男
1990年代のJ-POPシーンを語るとき、小室哲哉の名前は避けて通れない。TRFのリリースから始まり、篠原涼子・globe・Speed・安室奈美恵(avex所属時期の一部)など、手掛けた楽曲はヒットチャートを独占した。電子音楽とポップスを融合させた「小室サウンド」は、当時の若者文化そのものを体現していた。TRF「EZ DO DANCE」「BOY MEETS GIRL」、globe「DEPARTURES」「wanna Be A Dreammaker」など、今も語り継がれる名曲を量産した。
つんく♂:モーニング娘。とSMAP「夜空ノムコウ」
シャ乱Qのボーカルとしての活動と並行してプロデューサーとしても頭角を現したつんく♂は、モーニング娘。をプロデュースして1990年代末〜2000年代のアイドルシーンを刷新した。「LOVEマシーン」「恋愛レボリューション21」など次々とヒットを生み出し、ハロー!プロジェクトという大きなアイドル帝国を築いた。また、SMAPに提供した「夜空ノムコウ」(実際はスピッツの草野マサムネ作詞・川村結花作曲)は—— ここでは別の提供作品に言及するが、つんく♂はJ-POPの歌詞に「日常語のリアリティ」を持ち込んだ先駆者の一人だ。
秋元康:AKBとアイドルプロデュースの革新
「会いに行けるアイドル」というコンセプトでAKB48を立ち上げた秋元康は、CDセールスの下降局面にあった2000年代後半から2010年代にかけて、握手会という新しい「体験型消費」でアイドルCDの大量販売を実現した。AKB48・乃木坂46・欅坂46(現・櫻坂46)・日向坂46という「坂道系」グループを相次いで輩出し、現在もアイドルプロデューサーとして絶大な影響力を持つ。また放送作家としても多くの人気番組を手がけており、その活動は音楽の枠を超えている。
松任谷由実:日本のポップス史を彩った「ユーミン」
松任谷由実(荒井由実時代から通じる「ユーミン」の愛称)は、1970年代から現在に至るまで活躍を続ける伝説的なシンガーソングライター・プロデューサーだ。夫・松任谷正隆との共同制作を続けながら、「ルージュの伝言」「卒業写真」「守ってあげたい」「真夏の夜の夢」など時代を超えた楽曲を生み出し続けている。プロデューサーというよりアーティストとしての評価が高いが、同時に日本のポップス市場全体を牽引してきたその存在感は、業界に与えた影響という意味でプロデューサー的な役割も果たしてきた。
ストリーミング時代のプロデューサー像の変化
CDバブル期のプロデューサーが「ヒット曲を量産する職人」であったとすれば、現在のプロデューサーはより多面的な役割を求められる。アーティストのSNS戦略、TikTok向けの短尺コンテンツ制作、海外展開を視野に入れたサウンドメイキング——こうした要素を総合的にディレクションできる人材が「現代のプロデューサー」だ。音楽のヒットの文法が変わっても、「時代の空気を読み、それを音楽で形にする」プロデューサーの本質的な役割は変わらない。